< 放棄と犠牲 >



 すべてを捨てることを放棄と混同する傾向があります。放棄とは、完全な平静の状態に到達することを 意味します。人はあなたを批判するかもしれませんし、称賛するかもしれません。損失をこうむるかもしれないし、一方で、利益を上げられるかも知れません。 どちらも、等しく扱いなさい。どちらも、平常心でありなさい。

 家や妻や家族や財産を捨てて森に隠遁することを放棄と定義すること、これは大変間違った定義です。 放棄とは、批判と称賛を同じ気持ちで味わうことができることです。放棄とは、悲しみと喜びを同じ見方で考えることができることです。


 真の放棄とは、二元性の感情の撲滅です。放棄は神性への全託によって特徴つけられます。


神への全託、それは また、迷い苦しみから逃れる一種の特効薬かもしれない。



行為によってでもなく
子孫や富によってでもなく
犠牲によってのみ
人は不死に到達することができる
ラーマはもし必要とあらば自分自身を差し出す覚悟でした。
 
最期には自ら(ローカルエゴ)を差し出さなくてはならないとときが来るということかな。
まだ、このわたしには本当の犠牲の意味はわかっていないな・・・。


真の犠牲とは欲を捨てることを意味します。
寛大な 広い心を育てることです。
犠牲(sacrifice)とは 他のために 自らの生命さえも与えることを意味します。(例:頭を差し出したバリ皇帝)

それは、まったく無欲なことです。 私利私欲にとらわれる私心(しし ん)なかりしか!



財産を、慈善と、正しい行いと、世界の安のために使うことを覚えておきなさい。そうして、犠牲を学びなさい。、
人は可能な限り、自分に手助けしてくれたことのない人を守り育てるための努力を払いなさい。この犠牲の精神を育まなければならないなら、まず、心の中に神 聖な感情を育てなければなりません。
これはなかなかできないことだ。イエス・キリストの様な精神かもしれない。すべてを提供している神、与えるが求めない、そのものになりなさいと言うことかな。





サティヤとは自分が思うことを話すことを意味します。自分が話すことを行動に移すことはダルマです。
思いと言動と行動が一致しているということだ。

けして いそいで おこなってはなりません。 Never be in haste. Haste makes waste, waste makes worry.
忍耐(forbearance)の性質は困難によってのみ発展させることができす。
悲しみはあなたの人間性を開花させます。






「こころよ、求め願うことを止めなさい。そうするのを止めなさい。 
あなたがより求め願うほど、あなたはより無視されるでしょう。 
神様は、あなたが求め願うことなく、あなたが受け取るに値するものを確実に与えるでしょう。」



 あなたの求めにおうじて与えてくれるのはただの王ですが、あなたが求めることなく与えれくださるのは王の中の王なのです。神へ求めることは、本当の devotee(帰依者)の証ではありません。すべてのことを、神様の意思におまかせすべきなのです。


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  12th  Release 2015/4/30.