<Welfare of Societyについて 再び考える>
53歳を過ぎて、自分ではやりたいことがなくなり、会社では第一線で活躍できる機会がなくなった時、これから人生を改めて考えてみる。
先日、テレビの人の終末を扱った番組のなかで、「自分だけのためではなく、他人(ヒト)のためにも生きなさい。」という言葉が印象にのこった。
むかし、ババのディスコーズの中で "welfare of society" (直訳すると 社会の福祉)を聞いていたが、当時は、理解は釈然としなかった。
今、改めて考えてみると、老人福祉・ハンディキャップ福祉のことではなく、より広い意味の、人が社会を組んで共存共栄するように努力すること思うようになった。 損得だけで切り捨てることではない。
仮に、悟りの境地に達した人がいて、これ以上この世に暮らして得るものがないのであれば、自分自身のためだけならば、死んだ(霊へ埋没した)方が得
策だろう。しかし、まだ、余命があると感じているときは どうすべきか? 現在の世が不穏な雰囲気に満ちているが、社会を深い(静かな)瞑想を通じて少し
でも穏やかに導くとかあるかもしれないが、実際は、身の回りの(小さい)社会の中から、共存共栄に気づくこではないだろうか・・・。
1st Release 2016/11/5b