Atma is the ocean, Prakriti
(Nature) is a wave of that vast, ageless, boundless ocean and the Jiva
(individual) is just a drop of that wave.
You cannot give up the wave or the ocean.
Once you enter the depths of the ocean, it is all peace;
agitation, noise, confusion are all only on the outer layers.
So also in the innermost recess of the heart,
there is a reservoir of Shakti
where you must take refuge.
アートマを大海にたとえると、プラクリティ(この自然界)は、その広大で永久で無限の大海のひとつの
波にすぎま
せん。
そして、ジバ(個体として意識するもの)は、単に、その波のしずくにすぎません。
あなたは波や大海を手放すことはできませんが、
ひとたび、大海の海の底に潜れば、
すべては平和です。
扇動やノイズや混乱はすべて外側の層の上にあります。
同じように、ハートの最奥の奥には、
あなたが避難すべき、シャクティの貯蔵庫があるのです。
ハートの最奥の奥にある所とは、アーナンダの場所であると思う。そこは、すべてのエネルギー源で
あり、そこから溢れでているエネルギーがシャクティーと呼ばれるものの実態であろう。
静かに生まれて、成長し大きな波となり、高波となり開花し、そして、引きながら波がじょじょに平ら
になって消滅
するように。波の上に生じる泡が我々であり、波が生まれるときに成長の種が秘められている。そして、条件が揃い、高波となって、その種が開花したあと、波
は廃れ消滅していく運命にある。それは、なにごとにも、避けられないことである。
また、我々はけして個独立的な存在ではなく、周囲とつらなる一体ものである。そのことが、”一つ”の
波に例
えられている。
プラクリティの意味は、昔は周囲みな自然物でできているのが普通で、大自然のものと言えば良かったのであろうが、現在の物質文明の時代であると、「自然」
と言ってもちょっと
ピンとこない。そこで、内的な世界から見れば表面的な、この世の見え聞こえ感じかれるすべてのものと解釈してみた。
アーナンダの化身(例えば、ラーマ、クリシュナ、サイなど)に思いを集中させ、それに心を慣れさせ、
安定してそれに没頭することができれば、しめたものである。