<ジーヴァンムクタ>

ジーヴァンムクタとは、生きながらにして解脱した人。
現在の生で果たすべきカルマ(プララブダ・カルマ)が尽きるまでは生き続けるらしい。

ラマナ・マハルシ(識別により真我(アートマ)の認識を推奨している)は、よく議論される一時的なサマディよりも、常に瞑想と同等を維持するサハジャ・サマーディ(Sahaja Samadhi)を推奨したらしい。
常に想念が発生しないように心を訓練する(ヴァーサナーの根絶)とアートマだけのちかい状態になり、自己を完全に明け渡すと体は自動的?に動くようになる。心は想念を発生しないこと(心の死)に慣れてしまっているので、普段の我々とはまったく逆の立場の人に変容しまったことになる。普通の人には無理がある。
ディヤーナ・バヒニでは 神の御名と御姿の瞑想 と 満足の習得 が推奨されているが、満足を習得した人が上記に類似するのかもしれない。

心が清らかになった人はアートマに近くなるため、日常生活をしながら、自然とアートマと交流すことも可能?らしい。
アートマの属性の1つであるアーナンダ(至福)は食事に例えられることもある。日常生活においてもアートマに浸るように努力していかなければならないだろう。 こころの対象は1つなので、先ずはアートマの方に目を向けて、他の事(瞑想とか掃除とか・・・)はそれに付随して起きていく。アートマには時間の概念がないので、焦って行う普段に行動より時間がかかるかもしれない。


ディヤーナ・バヒニでも述べられているとうり、内なる目をもってアートマと常につながってそれに従うことが、最終の理想の姿なのだろう。


 



「人の生命は、神霊(アートマ)を認識することによって目的を果たします。各人に内在する神霊(アートマ)を認識することです。そのためには、前世からもちこした欲望傾向の束縛から完全に自由でなくてはなりません。真の意味での解脱とは、この前世からもちこした欲望傾向から自由になった ことを云うのです。」

「至高神への信愛をつちかいなさい。(中略) 洪水のようにふれんばかりの信愛の水が、至高神の恩寵の大洋に向けるならば、それはなんという神聖な仕事でしょう。そのとき、自らの人生の目的を知ります。それが最高の解脱です。」

「生きながら解脱した者にも衝動傾向はありますが、それは火で焼かれた種子です。生きながら解脱した者に残る衝動傾向は、再生の原因とはなりません。」

「心の満ち足りた人は完全に清らかです。内在の神霊(アートマ)と精神的に共にしながら内的な生活をおくるでしょう。休息や不平なしで、いかなる仕事も行うことができます。」

(ディヤーナ・バヒニからの引用)



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  9th  Release 2026/3/14