<リーラ(Leela Play)は神の性(さが)>
"Maya .... No cause can be given to explain
how it manifested itself, ....." (VahiniシリーズのSandeha Nivariniより引用)
「マーヤ・・・ それ自体がどのようにして生じたかを説明する理由は言い表せない。」
神は 何故? こんな世の中を創造したのだろうか? と思い悩むことがある。
漬物のように、重たい石につけこまれると、自然と味がにじみ出てくるように、不動のアートマからこの世の物語(リーラ劇)が自然ににじみ出てきてい
るのだ。それは、神の本性であるが故に、特別な理由はないのだ。だから、どうこう言ってもしかたがないのだ。と理解するようになった。
もし、この世にあふれている、ごたごた事が無ければ、人間は成長しないであろう。
ごたごた事を通じて、無常や暴虐を体験し、その反面、本来人間に備わっている慈悲や、忍耐制御を習得していくのだ。神は人間が人間性を完成していくのを楽
しんでおられるのかもしれない。
困ったときは、みんな集まって、協力して物事にあたるのが良い。人間、ひとりでは、行き詰まってしまうものでも、何人か集まってよいアイデアを出しなが
ら、各々に備わっている優れた分野で仕事をしながら、物事に臨めば、その内 打開していくかもしれない。これは、ババの言う、unity in
diversity の例かもしれない。
また、際限なく無造作に何かが増殖することは周囲や自分にも害を及ぼすことがある。故に、物事を進める上で、悪役や「じゃま」が出てくるのである。
「この世界は、じれったくみせびらかして見えるために、われわれを魅了しますが、基本的には非真実なのです。それはしだいに消え去る現象です。この真実に気
づいたとき、人は神の宇宙遊技と永遠のすべてである存在を認識するようになります。 」 (
リ-ラ- カイヴァリヤ バ-ヒニよりの引用)
われわれは、いつも、あたふたと踊らされているが、時が経てば、すべて消え行く存在である。それは、遊び(リーラ)であり、正義ではない。神が楽しみである。 唯一者の主催者がなすがまま、すべてを認め、早くこのゲームから足を洗うのがよいだろう。
この世はどこもかしこも理不尽なことばかりである。クリシュナの時代、また、ブッタが生き
たときも、今も昔も、そうである。どうして このように創造されたのか理由は分からないが、 ただ言えることがあるとすれば、あまり居心地がよいと、そ
こにとどまってしまい、先に進まなくなってしまうことだ。 それは、唯一者の道楽(アーナンダ、楽しみ)が完結するための手段なのかもしれない。
4th Release
2013/9/28
2015/12/5