< ヨギ・パワーとデーモンとはだれ?  >



Ramakrishna wanted to help, guide and warn.
His ego will bring him down if he yields to the temptation of demonstrating his yogic powers.
ラーマクリシュナは、こう警告しています。
「ヨギ・パワーを見せびらかす誘惑に取りつかれてしまうと、その人はエゴによって堕落してしまうので注意しましょう。」と。




ヨギ・パワー


 いくらたっても、自分には、俗に言う変幻自在力などのヨギ・パワーが備わってこない。その理由を考えてみた。
 ヨギとは、(神との)合一を意味する。
つまり、ヨギ・パワーは、神(ディバイン)と合一状態を安定して保てないと実現できないらしい。ここでは、各個人のエゴが少し残っている状態だろう から擬似合一であろうか。
合一状態を安定に保てるようになるためには、小学校入学しそして卒業して中学校へと段階的に勉強して高度なものを身につけていくように、長い年数が かかるらしい。(どうやら、この訓練がラジャ・ヨガと呼ばれるものらしい・・・)
心がそれにいかに集中しきって持続しつづけることがキモのようだ。そして、自らに別のイメージをオーバーライトして変身する。 (ちなみに不変不動の意思はサンカルパだ。その自然に逆らうにはそれに見合った不動・強固な意思が必要だ。)
ねばり強く長い期間にわたって訓練をすることは、自分には不向きで(わりと短気である)ある。いっこうに備わって(努力もしない)こない理由であ る。しかし、警告にあるように、なまじ備わっているより、備わっていない方が幸せな人生をおくれるような気もする。



サマディー
 
 この正月に改めてスワミ・ヴィヴェーカーナンダ著ラージャ・ヨガの中のパタンジャリのヨーガ格言集、つまり、パタンジャリのヨーガスートラの解説文を読 んでみて、目方が軽くなることや遠くでの話を聞いたり 空(アーカーシャ)を移動できたり分身の術を使うヨギパワーの仕組みが、ほんの少しだけ分かるよう な気がした。多分、実際のところスワミ・ヴィヴェーカーナンダもその幾つかの能力を備えていたと思われる。(実際にできる人なので話しに説得力がある)  逆に、一生かかってもそのような能力は習得できないだろうとも感じた。それは、自然の流れを分解してそれらを人工的に再構築すること。それが一時的でしか ないのは、それが(本来そう造られた)自然な状態ではないからであろう。そして最後に残った疑問は、サマディーの取得が、本当の解放に結び至るのであろう か?ということである。例えば魂(自己)は生きたまま 肉体を永遠に離脱する人もいる。サマディーの取得は必ずしも本当の解放に結びつかないように感じる。心にまだに欲望が残っているかぎり、サマディーからかえってカルマの続きを演じることになるのであろう。
 





デーモンとはだれ?
  

 デーモンとは自らの欲望に取りとりつかれて、制限なく、やりすぎる人(または生き物)がデーモンと思っている。外見が怪獣のような姿でなくて普通の人の 姿をしていても、欲望の塊となって周囲を脅すものは、デーモンではないだろうか。今の世の中、人はだれでも、少なかれ多かれデーモン的な要素をもっている のは恐ろしいことである。



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  6th Release 2017/10/21.
7th last 2018/5/9