< なぜ悪意が存在するのか
>
「善を進めるため 悪をつくった。」
いつも疑問に思うことだが、神様はなぜ世の中がよりよく協調していくように創られなかったのか?疑問に思う。
あまり見たくもない、悪と善の葛藤はマハーバーラタにもあるように昔からいたることろに散見する。
なぜ悪意が生まれるのか?
その一つの回答として:
善を進めるため悪を作った。
> 善とは一言にていえば人格の実現である。
> これを内よりみれば、真摯なる要求の満足、
> すなわち意識統一であって、その極は自他相忘れ、
> 主客相没するという所にいたらねばならぬ。
> 実地上真の善とはただひとつあるのみである。
> すなわち真の自己を知るということに尽きている。
> 我々の真の自己は宇宙の本体である。
> 真の自己を知りたければただ人類一般の善と合するばかりでなく、
> 宇宙の本体と融合し神意と冥合(みょうごう)するのである。
> 宗教も道徳も実にここに尽きている。
> 【西田幾多郎氏より引用】
> 人生の達人とは、マイナスの中に価値を見出す人である。
> 【カレンダーの今日のことばより引用】
たとえ逆境においても、まるで製錬されるがごとく、結果的にその人へプラス効果となることを期待されているのであろうか?
また反対に、「憎しみ」をともなった悪意は来世に病気の体をもたらすだろう。そこで、反省するのであろうか?
この世は単なる(自己自演の)遊戯(PLAY)で実在しないものなので心配する必要はない。とおしゃるけれども、考え込んでしまう。
(everything is God willと)成り行きを気にせず、無執着でいないさい、と言うことだろうか。(これがカルマ・ヨガなのか?)
2nd
Release
2018/5/26