< タパスと積分 >
インドの物語の中には、山で苦行することにより神々に認められて得がたい武器や能力を得た と言う話が出てくる。
別段、おとぎ話に限らず、この現世に生きる普通の人々とってもいえることで、
何か偉大な(大きな)成果を得るためには、その分、失うもの(耐えしのばなくてはならないもの=苦行)が避けられないと
いう法則があるような気がしてきた。失うものは物質的なものとは限らず、安泰と言った状況・環境も含まれるだろう。
つまり、100%ポジティブ”だけ”のことはなく、必ず、そこには、ネガティブな要因が伴ってなって現れる。
結局、ポジティブとネガティブな要因を経過に沿って全部 積分すると零?になるように出来てきるかのように思えてしまう。
この世では 必ず 相対的に 現れる。二元性として映る。
善悪が対峙するように見える現在のカリ?の時代だけの法則であろうか?
それとも、もっと良い他のユガの時代にも 結局 同じことが起きるのであろうか?
後者のような気がするが・・・。
さて、ちょっと強引だが、次の話も苦行によって得た結果ではないだろうか。
蛇のタクシャカにかまれて死ぬ直前に、王パリークシットがとった行動である。
王パリークシットは、理性(ブッディBuddhi)を用いて心を集中させると、呼吸を制御し、まるで一本の樹木のようにすこしも動かずに、至上の大霊(パラマートマpara m atma)を瞑想し続けました。
全ての疑問が解け、全ての執着を放棄したその偉大なヨギは、ガンジス川の岸辺で北の方角を向くと、葉先が東に向けたクシャ草にすわり、ブラフマ(brahma)と自分を完全に同一視したのです。
(全訳 バーガヴァタ プラーナ(下) 第12巻第6話より引用)
このことができたのは、長年にわたり 王パリークシットが行ってきた クリシュナ神を求めると言う霊性修行の賜物であろう。
人はだれでも老い衰えてしまうものだろう。その時期がきて、今まで学んで身に着けてきた学問や富や血縁その他が役に立たないと悟っても遅いので、若いうちから霊性修行を開始しなさいと言うのがババのアドバイスなのだろう。
1st Release
2017/6/18