< シバラトリーの効用 >
「存在しないものを、心配しても しょうがない。」
病院に入院することがあり、そこで、ヨガの智恵を得た。そこでの悟り?を記しておこう。
そもそこは小さい病院で、頭背に方の窓に空が広がる。主に、空に向かってシッダアーサナの姿勢で瞑想する。
幸いにも、そこの病院には、2011 PHASE OF MOON(月の影を表す月齢)の図があり、丁度、5月31日ごろ、
月の影響がもっとも小さくなることが分かる。 この夜(実際には朝の2~3時)の静寂さはすばらしい。 いつもならば、邪魔な想念がいて、なかなか、時の
流れを超えた不動
の目標に行き着けないのであるが、この日は容易に戻るとができる。すばらしい、わざわざヒマラヤの奥地で瞑想しなくても、この東京の都会でも、できると
知ったのである。(シバラトリーの効用)
「心地よさを探すのは止めなさい。いかなる場所でも心地よくいることを学びなさい。その方が賢明です。」(ディヤーナバヒニから引用)
天の不動の目標から流れてくるオームの流れを体に自然に取り組む瞑想(オームマントラを唱えながら 降り注ぐ流れを自然に感じる)、これは、体によ
いみたいだ。この業を行っていくと一瞬もとの正常な状態にまで戻るらしい。一度戻るところまで、毎日、おこなえばそのうち全快するかもしれない。
さて、周囲の患者さんたちの活動を見ていると、意識しようと叉は無意識(知らず知らずに実は繫がっていて)に 背後で手を引くブラフマが 操ってい
るのが分かる。 そして、大丈夫かよ!?と ハラハラドキドキする場面になると、なぜだか、続いていく。 やはり、過去現在未来のブラフマ・シバのなさり
ように、まかせる以外には回答はないようだ。後はよしなにまかせて、満足した気持ちで根源に帰りましょう。
5th
Release
2011/6/26b.
「放棄のみが永遠に至る方法である。」
瞑想(ディヤーナ)するにあってのこつは、
- ふり注ぐものへ向かって
- より深く集中し
- Body Attachment を抜いて
- 自動的に戻り易くなるように、be content 状態で
がある。最後のものは、もともと、アーナンダ状態(=サット(意識)+チット(存在))に戻るのであるので、できるだけそれに近い状態で、もともとあれ
ば、それに戻りやすいと考えた。
体のどこの部分をつうじて何の対象を瞑想しようとも、すべてはブラフマンに行き着く。
3rd
Release
2011/9/3.
最近、ディヤーナ(瞑想) バヒニを読み返してみて、その中に、アーサナの効用が書かれているの気づいた。その目的は、心を落ち着かせる姿勢であり、瞑想
し易くする
ためのものである。いにしえの人は、体の姿勢と心の状態には相関があると考えていたそうである。シッダアーサナの姿勢で、背筋を立てて、半眼で目線を鼻頭
にもっていく。シッダアーサナには 長い間 安定に座っていられるというメリットもあるらしい。なんとなく、大仏様の姿勢に似ているのに気づく。(大仏は
内部を見学するだけではなっかたんだ。鎌倉の方は入れたな。奈良は忘れてしまった。) 瞑想の修行はさ迷う心をだんだんと対象に一点集中すようにすること
なので、特に、初心者は、心が落ち着きやすい姿勢(アーサナ)で、落ち着いた時間(一日の中でもっともサットな時間 朝の3時から5時ごろ)に、瞑想する
のがよいと指導さるのでしょう。今の季節だと、この地では、4時少し過ぎに日が明ける、その頃、鳥たちがさえずり始める。全地に降り注ぐ日の光とその元を
瞑想するのは、光瞑想法みたいで よいかもしれない。 やっぱり少し、眠いけれども。
1st
Release
2011/7/24.
「この世に永遠なものはない。すべてはいつか通り過ぎて行くもの
である。」