<単に遊戯のため つくった >



この世は 神さまが遊戯のためにつくった、自動的に進む一連のドラマである。
正義とか平和と、そういった単一なポリシーのものではない。

場面がくれば、必要な舞台装置はやってきてはまた過ぎ去っていく。 
結局、人は(その他みな) (意味的には)おなじ道を歩んで 消えて行くのか?
幾度も どこかで 同じようなことが繰り返される(神さまにとっては面白半分の、馬鹿げた)遊戯なか?


ババの講話の中に、スッカがジャナカ王を含む弟子たちに町が火災で燃えているとうそをつくお話がある。ほとんどの弟子があわてて自分たちが住む町にとって 返したのに対して、唯一、ジャナカ王だけが、「(これは)イシュワラの意思である。」 とし町のありように執着せずその場に平静にとどまったと言うお話で ある。


1st  Release 2013/3/16

<リーラ劇 >


喜びもあったり悲しみもあったり、意外なことが起きたり。
ストーリーに山谷があった方がドラマとしては面白しろいよね。
でも、見る側ならそうかもしれないが、演じる側だったら苦難の連続である。

この世は、神様は見る側で、我々は演じる(正確には演じさせられている)側の、大きなドラマである。



1st  Release 2017/2/7

<プレーマサイのお姿とは? >


Shiva said that
they would take human form and be born in the Bharadwaja lineage, thrice: Shiva alone as Shirdi Sai Baba, Shiva and Shakthi together at Puttaparthy as Sathya Sai Baba, and Shakthi alone as Prema Sai, later.


プレーマサイは パルティー サイの死後 8年後に再び生まれると噂されているが、定かではない。
更にその先、生きて プレーマ サイを拝見できるかどうかもわからない。

shivaシバを真実の英知の象徴 shakthi シャクティをこの世を具現化するパワー(プレーマ)と解釈すれば、多くの人に慕われる先生。
その先生から難しそうな教えを説く姿を差し引くと、多くの人々に慕われる姿が思い浮かぶ。

しかしながら、自分には、パルティーの先生で十分なんだろう。

1st  Release 2017/2/9

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