< Jivaの終局はいつあらわれるのか?  最期にはどうすべきか? >      




このJiva(個人)は 何時 終局にいたるか?

 Jivaの終局とは、つまり、ATMA アートマがそのJiva(個体)を完全に吸収することである。


 それは、3界の大きな劇の中での、演じる役を終わるときである。
逆に言うと、自分を個別したものと視ることを止めたときである。


 劇の終わりが近づいてくると、身近な出来事や色々な兆候(例えば、こわれるとか)から、「このお話もそろそろ終わりだな。」と、感じてくる。 だんだん分かってくると、この世が毒のように思えてきて、この世から早く卒業したいという気持ちで一杯になっている。
 通常は、この世に生まれてきた分のカルマ(役目)はディスチャージし(役目を果たしきり)、逆に、将来、また厄介事に自らはまらない様に、将来のカルマが蓄積しないようにこころがけるらしい。普通の一般的な暮らしをしていて、このように心がけることは結構難しことだ。 なので、すべれはブラフマの意によって為されていると考えるべきである。
 でも結局、このお話は あくまで ATMAが主体者であり、我々は、それに踊らされているだけなので、ATMAのみが、Jivaの終局を知っているのかもしれない。数あるアーナンダがまたアーナンダに帰するとき。



最期にはどうすべきか?


蛇のタクシャカにかまれて死ぬ直前に、王パリークシットがとった行動である。

王パリークシットは、理性(ブッディBuddhi)を用いて心を集中させると、呼吸を制御し、まるで一本の樹木のようにすこしも動かずに、至上の大霊(パラマートマpara m atma)を瞑想し続けました。
全ての疑問が解け、全ての執着を放棄したその偉大なヨギは、ガンジス川の岸辺で北の方角を向くと、葉先が東に向けたクシャ草にすわり、ブラフマ(brahma)と自分を完全に同一視したのです。
(全訳 バーガヴァタ プラーナ(下) 第12巻第6話より引用)


このことができたのは、長年にわたり 王パリークシットが行ってきた クリシュナ神を求めると言う霊性修行の賜物であろう。

人はだれでも老い衰えてしまうものだろう。その時期がきて、今まで学んで身に着けてきた学問や富や血縁その他が役に立たないと悟っても遅いので、若いうちから霊性修行を開始しなさいと言うのがババのアドバイスなのだろう。


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  4th Release 2016/11/6