< ダラーナ、ディヤーナ、サマディ  >




ダ ラーナ:Brahma-consciousnes(ブラフマン意識)の認識の上にしっかりと確立されてるもの。
ディヤ-ナー:それが無形であれ有形であれ、逸脱せず、1点集中のもの。
サマディ:神(Lord)に心を固定すること。




何かに熱中している。
例えば、寝ても覚めても、それに思いをはせ、心が熱中しているときがある。
もし、心が熱中しているものを神に向ければ、それが、ダラーナ、ディヤ-ナへと転化していくことになるのだろうかと、先日、郊外に向かう朝の通勤の電車の 中で思いついた。(この方法は、昔からあるヨガの修行に応用されているらしい。)
心はいつもあっちこっち歩きまわっていて、一点集中を長い時間続ける持続は難しい。しかし、”かみさまをイメージするものへの集中”の訓練を毎日続けるこ とによって、そのうちに、きっと、心もそれができるようになっていくのだろうと思っている。


さて、
実際に、私は、サマディに戻っている人を見たことはないのだが、おそらく外観は死人と同じように見えると推測している。それは、心が根源にもどると、すべ ての肉体の動作(心臓の鼓動、呼吸などが)が停止してしまうからだ。もし、サマディに戻る直前、アーナンダに浸っていれば、ニコニコした顔つきの死人顔に なっているかもしれない。だだし、普通の死人と違うところは、また、心が戻ってきて、普通に、生きかえることである。例えて言えば、一種の冬眠状態のよう なものであろう。


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  1st Release 2005/8/27.